第138回・BunDoku読書会

 

日時:2024年1月27日(土)17:00~18:30

会場:レンタルスペースeat(大分市)

参加者:11名

 

事務局の江藤です。第138回・BunDoku読書会を開催しました!今回は初参加の方3名を迎え、11名での開催となりました。

 

課題図書は、ハンガリーからの亡命作家アゴタ・クリストフがフランス語で書いた小説『悪童日記』でした。「作家にとって母語ではない言語で書かれた小説」というカテゴリーがあると思うのですが、その代表作として取り上げてみました。

 

「主人公の双子に魅力を感じた」「彼らには彼らなりの倫理がある」「その倫理は私的なもので公的な道徳には反している」「彼らの倫理は共感に基づくのではないか」「それは弱者への共感なのか」「あるいは生きる意思をもった人への共感なのか」「はたまた現実を引き受けて生きる人への共感なのか」といった、主人公の行動原理をめぐる話題が盛り上がりました。

 

原題「Le Grand Cahier(大きなノート)」が「悪童日記」と翻訳されたことも話題になりました。たとえば「悪漢」というときの「悪」、すなわちアンチヒーローの意味が込められているのではないかという指摘には参加者の皆さんも唸っていました。

 

作品をつらぬく「ぼくら」という主語については、「主人公と読者の間に2対1の関係を作り出す効果がある」「『僕ら』ではなく『ぼくら』であることで主人公はむしろ1人であるように感じた」「『ぼくら』のなかには読者である自分も含まれている気がした」などの意見がでました。

 

末尾において「ぼくら」は「ぼくらのうちの一人」と「残ったほうの一人」に別れるわけですが、あれだけ強く結びついていた「ぼくら」が別れてしまうのはなぜか。さまざまな意見が出ましたが、私としては「愛」がキーワードになるのではないかと思いました。

 

愛というのはともすれば排他的な感情で、特定の他者をそれ以外の他者と比べて特別だと思ったり、特定の他者から自分のことを特別だと思われたかったりするものだと思います。そうすると「ぼくら」のままでいることは、愛したり愛されたりすることと相容れなかったのかもしれません。

 

主人公の成長について、「おばあちゃんとの間に家族愛が芽生えたのではないか」という意見がありましたが、もしかしたらそうした愛の芽生えが「ぼくら」を解体するきっかけになったのではないでしょうか。

 

『悪童日記』には、第2作『ふたりの証拠』、第3作『第三の嘘』があるとのことで、そちらもぜひ読みたいと思いました。そのうち課題図書にするかもしれません。お楽しみに!