第133回・BunDoku読書会

 

日時:2023年6月24日(土)17:00~18:30

会場:レンタルスペースeat(大分市)

参加者:12名

 

事務局の江藤です。第133回・BunDoku読書会を開催しました!今回は初参加の方1名を迎え、満席での開催となりました。

 

課題図書は、イギリスの小説家カズオ・イシグロの代表作『日の名残り』でした。老境を迎えた執事のスティーブンスが、1920~30年代を回想し、長年仕えたダーリントン卿への敬慕をはじめ、父親を重ねて展開する理想の執事論や、女中頭ミス・ケントンとの「行ってたら行けた」恋、ナチスの台頭を背景としたイギリス上流階級の策動などを語っていきます。

 

読書会で話題になったのは、まずはスティーブンスの真面目さと、どういうわけかジョークを学ぼうとしていることでした。

 

「真面目さとユーモアが対比されているのではないか」「ユーモアの表現がジョークなのではないか」「実はユーモアとジョークも対比されているのではないか」「そうするとジョークは真面目さに重ねられているのか」など、いろいろな意見が出ました。

 

アマチュアリズムとプロ意識の対比も話題になりました。ダーリントン卿がアマチュアリズムの故にナチスに協力してしまった一方で、スティーブンスのプロ意識は従順さに結びついており、彼は彼でナチスとの親和性が高いのではないか。参加者からは、ハンナ・アーレントの「凡庸な悪」の概念が持ち込まれ、作品のテーマに関わる解釈が示されました。

 

他の参加者からは「執事という鎧」というキーワードも出ました。スティーブンスによれば、品格のある理想の執事の条件は「公衆の面前で衣服を脱ぎ捨てないこと」。もちろんこれは比喩ですが、1人のとき以外は決して執事という衣服を脱ぎ捨てないスティーブンス。それが彼を守ることもある一方で、制約することもあるという意味で「鎧」という表現は的確だと思いました。

 

それでは、なぜスティーブンスは「執事という鎧」を必要としたのか。「自分にはほかに何もないと考えているからではないか」「理想の執事に父親を重ねて同一化しようとしているのではないか」「むしろ父親の正しさを証明しようとしているのではないか」など、こちらもさまざまな意見が出ました。たしかにスティーブンスと父親の関係性に着目すると、面白い解釈を導くことができるかもしれません。

 

ご参加いただいた皆さま、楽しい時間をありがとうございました。やはり古典は良いものですね。基本的にネームバリューとリーダビリティで課題図書を選んでいますが、これくらい解釈の幅を許容する本がちょうどいいのかなという手応えを得ました。またのご参加をお待ちしております!